千々岩デザイン企画事務所 千々岩 清英
東日本大震災復興8年目の検証レポート
今回、初めて被災地視察研修に参加させてもらったが、被災当初からの8年間の復興状況が掴めず、その為、前回、研修に参加された方々の検証レポートを参考に読み直した。それとネットニュースなどのアーカイブスを見直して検証してみた。そして今回、訪問した被災地の中で一番印象に残った陸前高田市の復興状況を自分なりに検証してみようと思った。
最初に被災当時の瞬間をネットニュースなどで改めて見直してみた。
それは津波によって思い出がつまった街並みが一瞬で破壊され流され、今までそこに在った街並みが、何処に何があったか分からない無残な光景が映し出されていた。
そんな大変な状況の中を、少しずつ復興の為に進んでいく工事の様子などを年ごとに見直してみた。その映像に最初に復興工事の為の震災道路が何本も作られて行く様子が、そして、いたる所で高さ12メートルにも及ぶ、盛り土工事が、繰り返される様子が写しだされていた。
その中で一番驚いたのが、盛り土工事の為に、四方八方に延々と延びる大規模なベルトコンベヤーだった。それは、盛り土工事が終る度に、また新たな場所へと延々と延びて行き、盛り土工事が何年も繰り返されていた、そんな光景がとても印象的で衝撃的であった。
今回の視察で最初に訪れたのが、アバッセたかた、図書館を併設する商業施設で、そこを中心として街並みが形成されている印象を受けた。だが周辺では今でも、道路、宅地、河川、橋、新交通システムの駅などのインフラ工事が、盛んに行われていて完成までには、まだまだ時間が、かかるだろうと思った。
ただ今回、訪れた日が土曜日の昼時であるのに、まず感じたのが、人の通りの少なさ、店舗などの少なさ、住宅などの少なさ、そして全体的に賑わいの少ない街並み感であった。このエリア周辺では店舗や住宅など建設できる造成地が沢山あるのに店舗などが少ないのは、なぜ、と言う疑問と違和感が湧いてきたので、後に調べてみた。
そしたら、仮設店舗で営業している方々の8年間で生まれたズレについての 仮設で生きる‘店主の選択’ と言う記事を見つけた。その記事によると、「市内の高台にある仮設で頑張っていた震災当初は、復興を目指すのなら、やはり新しい市街地で」と多くの仮設店舗で営業している方々の思いが載っていた。でも現状は、8年が過ぎた今では仮設店舗で営業する多数の方々が移転を諦めていると言う、その理由に新しく出来た商業エリアの現状は平日の人通りが少なく賑わいが無いなどの心配、そして移転の為に新たに借金する事などの不安である。それに現在、営業している仮設店舗では、今は金が掛からず、固定客が付くなどして明日からも、ずっと営業が出来るなどの理由で移転を諦めている方々が多いとの事。
私が感じるのに、「商店や企業が戻らないと人が集まらない:人が集まらないから商店や企業が戻らない、その結果、賑わいが生まれない、賑わいが先か?戻るのが先か?」このような疑問が8年以上経った今なお、どの商業施設でも起きているのではないか、そして、まちづくりを主導する行政でも色々な政策を取ってはいるが、にぎわいを取り戻せるのか、と言う不安と模索が続いているように思えた。それに「賑わいを新たに創る、永続的に続ける」と言う難しさを実感した。
今回訪れた施設のデザインなどは、何処も似たような感じで個性感も少なく地元感も少なく、期待して初めて訪れる満足感があまりなかった。
そして今回、五箇所の商業施設を視察して思った事だが、何処の商業施設も活気のある賑わいを感じる事は少なかったと思う。でもその中で、南三陸さんさん商店街、いしのまき元気いちば、では核となるリーダーが頑張っておられ、これからの未来を感じる事ができた。
追記 「復興は若者」
震災を経験した当時10代だった中学生や高校生の子供達、8年以上が経った今では、大人になって地元を離れ頑張っている人もいれば、地元に残り、又は地元に戻り、復興の為に頑張っている若者達も多いと聞く。
これからは震災を経験した若者達が地元地域の賑わいや歴史を創っていくのだと思う。その為にも大人になった彼等と行政が中心となって、協力し合うグループを発足し、地元地域の商店街や人々の賑わいを創る活動を積極的に行くべきだと思う。
まだまだ先が長い復興、若者達が生き生きと活動出来る場が沢山できる事を願う。
参考:WEB NHKニュースなど
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