視点:テーマ=「人々の幸せつくりが街を創る」 全体を通し感想文としてまとめる。 2019/10 月 商業施設士・監物秀夫
令和元年 2019 年 10 月 5 日 ( 土 ) am10:00 仙台駅から始まった。
私は今回が初の視察参加である。8 年目の街の復興に期待と不安が交差し視察研修は進んだ。8 年も経てば相当復興の街つくりは成されているのではないか、人々の生活はかなり戻っているのではないかと半ば安心感も感じていた。だが驚いた事に未だ生活復興が始まったばかりで人々は元の生活に戻す為の復興現実であった。
各地域での商業施設は特産品販売よりも現状の生活を取り戻す為の店舗やMDの形態である.....
それは人々の生活基盤を考えてみれば当然の事と思うが復興 8 年目と言え未だ未だ普通の生活を取り戻す為には時間が掛かる状況である。
最初に訪れたのは陸前高田の商業施設「アバッセ」
先ず驚いたのは施設以外の土地は整備されているものの原野状態である。
情報によると近くに㈱ワタミによる「ワタミ オーガニックランド」で 23 ヘクタールの土地に有機農業をテーマにしたテーマパークが出来るようである。
道路は半ば出来て物流拠点が出来つつ段階で生活者レベルでは程遠い現実がある。施設前道路では高台方面という標識が立ち生々しい現実もある。
整備土地の中では建物で震災の傷跡が残っていた。津波がここまで来たという目印が残され、ただただ驚くばかりであった。駅舎が有ったという近くでは鎮魂の祈りの場があり、ただ手を合わす事しか出来ない現実のはがゆさも感じずにはいられなかった。
早く整地が進みインフラの整備が成されて欲しいものだ。人々の幸せは先ず元に戻りたい復帰したい生活環境を安定させたいとする事を感ずる場所であった。
次に訪れたのは道の駅「高田松原」
鎮魂の駅と言えよう。横手は未だ土地の整備中、あの奇跡の一本松のある場所だ。道の駅は建ったが廻りはインフラ整備中、8 年目にしてその段階である。 最初の希望的観測は打ち砕かれたのである。
道の駅の建物デザンは賛否両論あると思うが私的には未来に向かっての良いモニュメントに成るであろうと感じている。祈りとは人の営みの中で幸せを求める表現であり静寂な心の内側の本心であると思う。
次は気仙沼鹿折商店街に向かう。
途中に小学校の横を通り災害時や防災対策の指針等どのようにしていたのか、判断を間違わなければ多くの子供達の命が助かったのにと悔やまれる。
日本国土は自然災害が多く、明確な指針で今後も起こりうる災害に対し対応出来きる方法と手法が必要と感ずる場所であった。
気仙沼鹿折商店街「ハマーレ歌津」
ここは施設として大きくはないが地元の生活必要品販売のシンボルの場であると感じた。そこは地元の気概が感じられる所で元気印をそのまま感じられる所でもあった。少々不謹慎であるが「ハマーレ」に対し「アモーレ」と記憶されアモーレ♪と反復したものである。
どちらにしても地域を愛する人の集まりの場であり人々の元気が街の活性を生み出し、心の幸せが出来て街の活性化が出来るのである。その一歩で有ろうと心から応援したく思った。
案内パンフにも「まちづくり加速化事業」とある。そのものであり人々の幸せに向かっての意気込みが結集されているように思うのであった。
その後が南三陸のホテル観洋に向かったと思うが、多くの被災地を視察して廻ったがので書き込んだ順番が違うのかも知れない。ホテル観洋に着いてもその日一日の視察地が脳裏から離れなく 衝撃を感じた一日であった。
夕食後は部屋で談笑を経て、休憩所にてホテル復興の資料を見ていた。たしかフロントの広いフロアーで音楽演奏があると聞いていたのでその場へ向かって楽器の演奏に聞き入った。何曲か聴いていて「花は咲く」の曲、現地で聞く曲はもう涙が止まらない、次の曲が「情熱大陸」・・・涙・涙。
この時に感じたことは復興とは未来の希望の心、前向きな心の持ち方で街は活性でき人々の幸福感が戻って来るのだと、その日の視察を終え感じたことで有った。
さて翌日 10 月 6 日 ( 日 ) は女川駅前中心市街地「シーパルピア女川」の視察である。
女川駅では 2 階展望フロアーの天井の格子造り、どこかで見たような、静岡県の富士山記念センターに似たパターンである。
アール屋根にアール型格子は強度的にも良く工期も短縮されたようにも思える。
ここの街創りは若者中心に活動し創り上げたと聞いた。60 歳以下の人達で街創りを行ったという事、60 歳以上の人は金を出しても口を出すなと徹底したスローガンで行ったという事、未来に向かって次世代の人達が先頭に立って街つくりのリーダーシップを担ったこと、素晴らしい事である。
年配者は老婆心ながら心配事は多いと思うが、これだけ魅力ある街つくりを行った人達だから当然、聞く耳を持ち合わせていると思う。
各店内を見て周り思ったことはやや観光的運営方法であると言う事、商品単価が観光価格で有るのが気に成った。
それは言い換えれば地元の人々の為でなく観光者を取り込もうとする心理作用であろう。
復興の街づくり・商店街つくりとは少々目的が気に成るところではある。
街並みは素敵だが各商店ははどこまで地元還元が出来るか、観光地ならそれだけの魅力有る商品構成なり PR の継続が必要であろう。ランニングコストと集客率の問題が気がかりな街である。ただ商店街運営が継続できるよう活動して欲しいと意気込みに期待が掛かる。
次は日和山公園である
そこでは災害津波時に TV
で写し出された光景が思い出される。今は整備されされてきているが津波時の残像が公園の高台から見ていると生々しく感じられた場所であった。平和な街が一瞬にして変わり果てた姿は言葉を失ってしまう光景であった。今は護岸も整備されているが地理的に日本国土の安全に対する問題は多いと感ずるものであった。
その高台の公園を過ぎ「石ノ森正太郎」のまんが島を横に見て「いしのまき元気いちば」に向かう。
各商店では価格がやはり観光価格に感ずるのは私だけだろうか? それでも女川の生サンマ 1 匹が¥300 より安価であった。復興の為に観光価格にせざるを得ないのだろうか? 組合長の施設設置の話を皆で聞くことが出来た。
組合長は近くで印刷工場をしていたとか、流されて復興の為に各知人に声かけして集合店舗施設創りに翻弄したとか、成果が上がって来たとか、やはりここでも気概と人々の心の結集でありその集合体である。街を元気つけるそのものであろう、経費・資金の心配事を乗り越える見えない力強さの何かを感ずることが出来た。
次に向かった所は津波で壊滅的被害に遭った地域の「荒浜小学校」校舎。
子供達は助かったと聞くが校舎に押し寄せた津波の凄さ、被
害の甚大さ。学校は廃校と成っているが教室内を見学することが出来た。廃校に成った教室の黒板には子供達のメッセージが多く書き込まれていて未来の元気印、荒浜地区の復興を子供達の言葉で感ずることが出来た。
次の視察先、名取市かわかみの「かわまちてらすゆる閖上」
オープンが最近と聞くが、今まで見た商業施設と違って、これから定着するあろう様子、サービスや物販でもこれからの段階で有る。
近くの住宅は復興し、かなり出来上がっている。生活基盤が落ち着き始めている感じで有った。
そこで近くの酒蔵「佐々木酒造」の専務から復興の状況を聞き設備投資の状況や設備設置の問題点など聞くことが出来た。
被災時は仮説蔵で事業継続の苦労話を聞き現在新築に至った話を聞くことが出来た。ここでも次世代の人が頑張っている姿を見、話を聞き未来のステップを感ずることが出来た。
全体を通し復興の街つくりとは人々の気概と前向きな姿勢が未来に向かって進むのであろう。人々の幸せへの願いが商業施設と言わずそこに全ての未来があるように思う。
商店街活性化問題で言われることは次世代がいかにその街その地域に、希望を持って立ち向かっているか、復興 8 年目の現実を視察することができた。
人々は幸せを願った前向きな気持が未来の街を創るもので有ると実感し、帰路についた。
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